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怒る富士

6月1日(金)          「怒る富士」      (新田 次郎著)

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 宝永4(1707年)突然大爆発を起こした富士山は16日間にわたり砂を降らし続け、山麓農民に甚大な被害をもたらした。時の関東郡代伊奈半左衛門忠順はこうした農民の窮状を救うべく強く幕府に援助を要請した。だが、彼が見たものは被災農民を道具にした醜い政権争いだった―。大自然の恐怖を背景に描く長篇時代小説。

 この本を読むきっかけとなったのが2月18日の新潟日報の記事でした。
大変を生きる 災害と文学 <34> で、苦しむ農民救う奉行の記事がありました。

 新田次郎の作品は青春時代に多くの作品を読みました。著者あとがきにあった箇所を紹介します。
>私が小説を書き出したのは戦後であり、処女作は「強力伝」である。富士山に勤務していた頃である。その後私は富士山を舞台とした長編小説を三つ書いた。「蒼氷」「富士山頂」「芙蓉の人」である。何れも現代の富士山であり、富士山頂と関係がある小説である。私はもっと大きなスケールで富士山を書きたいと思った。宝永噴火と伊那半左衛門の業績を小説にしようと思い立った・・・

 後世に残したものや教訓を含めて、新潟日報の日報妙(6/5)を紹介します。
>気象庁職員時代に小説「強力伝」で直木賞を受賞した故新田次郎さんは、富士山を好んで題材にした。若いとき山頂の観測所で働き、見聞きした話が素地になっている。大作「怒る富士」もその一つだ。
1707年、宝永大噴火が起きる。麓の村は砂で田畑が埋まり、耕作不能に陥った。当初、自力復興令が出た。だが関東郡代の伊奈忠順(ただのぶ)は農民救済のため、幕府の蔵からコメを支出した。これがとがめらえ、忠順は切腹ー。新田さんによると、コメ支給や死罪を裏付ける記録は見つからなかった。しかし、忠能の死後、被災地に対する幕府の支援が打って変わって積極的になった。後に地元が忠能をまつう伊奈神社を建てたことかあも、彼の実績が伺える。作品は在誠意危機と大災害に揺れる権力中枢内の勢力争いも描く。同様の逆風にさらされる野田政権」。・・・
宝永大噴火の1ヶ月半前に、推定マグニチュード(M)8.6の宝永地震があった。天変地異はときに、不安定な政治への大自然の怒りにも映る。あす6月6日は新田さん生誕100年。ご存命なら今の日本を主題にどんな小説をくだろう。現代版「伊奈忠能」が国民のために身をなげうつー。読んでみたい。

 「新田次郎、今ひとたび」(山と渓谷6月号の特別企画があった。)
 ①新田次郎作品に親しみ、楽しむ  ②新田次郎読書のススメ
 ③歴史年表でわかる「モデル小説」 ④新田次郎雑学
 ⑤「未知数を追う永遠の狩人」森村誠一から見た新田次郎

  青春時代に読んだ沢山の本を、いずれ時間ができたら読み返してみたくなりました。

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やまさん

Author:やまさん
 趣味はいろいろあるのですが、時間とお金の使い方が巧くいかない。
(時間があるときに限って、お金がなかったり)
映画鑑賞、読書(映画の原作を先に読むことも多い)
登山(ハードな山登りもこなすために日頃のトレーニングで汗をかく)
釣り(防波堤や浜での海釣り)
コンピュータのソフトを使い、書籍や雑誌、切り抜きの整理・・

 気軽に何でも書き込みして下さい(場所も気にしないでいいです)。

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