スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

プッチーニの愛人

6月9日(土)         「プッチーニの愛人」

   Putiini.jpg

 「トスカ」「蝶々夫人」など名だたる傑作オペラを生み出した天才作曲家、ジャコモ・プッチーニが「西部の娘」作曲中に起きた痛ましい悲劇の真相に迫るドラマ。プッチーニ夫人に彼との不貞関係を疑われたメイドが自殺した「ドーリア・マンフレンディ事件」*を、イタリアのパオロ・ベンヴェヌーティが入念なリサーチを基に描き出す。トスカーナ地方の自然をとらえた絵画のような映像美と、全編を彩るプッチーニの美しい音楽に酔いしれる。

*)この事件は妻エルヴィーラと深く関わっている。妻は、かつてはプッチーニと不倫関係を結び、駆け落ちまでする破滅的型女性でもあった。妻は遊び好きで交際も多い夫にひどい嫉妬をますます燃やすようになる。また夫も彼女に一切仕事に関わらせなかったし、彼女は心身ともに閉じこめられていったのである。仕事のために出向く都市や外国にも同伴させなかった。有名人を夫とする彼女のプライドは、深く傷つけられていた。そんな時、その鬱憤を晴らす好機が到来する。プッチーニの自動車事故直後に16歳のドーリア・マンフレディが小間使いとして雇われた。彼女はトッレ・デル・ラーゴの田舎の娘で、家族の反対を押し切ってこの仕事を受けた。5年経た頃、妻は夫とこの娘との間を疑い始めた。そして行動に出る。この娘にひどい追求や近隣にも二人の関係を言いふらした。後にプッチーニはきっぱりとこの点に関しては否定している。そしてドーリアは解雇されたが、エルヴィーラはこれでは満足しなかった。トッレ・デル・ラーゴの村中にますます言いふらし、娘を村から追い出そうとした。道で彼女に出くわすと人々に、あらん限りの悪言罵倒をやめなかった。いたたまれないプッチーニはパリに逃げ出す。そして1909年1月23日、エルヴィーラのすざまじいいじめに耐えられなくなったドーリアは錯乱状態になり、家でついに3錠の毒薬で自殺を図る。そして5日後に彼女は死んでしまった。検死が行われ、その結果彼女が処女であることが証明された。世間は今度はエルヴィーラに対する攻撃と非難に変わった。そしてドーリアの家族はエルヴィーラを告訴する。プッチーニは多額の金で解決しようとしたが果たせなかった。この妻は息子アントニオとミラノで仮住まいをし、夫はトッレ・デル・ラーゴに留まっていた。プッチーニはその数ヶ月の間、哀れな娘の幻影に悩まされることになる。

 プッチーニの音楽も映画に使われているそうですが(ピアノ曲!?)よく分かりませんでした。オペラ「西武の娘」の製作中でも、ヒロインの歌手との演技指導も・・・。だけど、プッチーニとドーリアは妻がかってに思うような関係ではなかった。それだからこそ、タイトルの<愛人=ドーリア>でないので気にいりません! プッチーニには多くの愛人(妻を含めて)がいたが・・・



この記事へのコメント

トラックバック

URL :

プロフィール

やまさん

Author:やまさん
 趣味はいろいろあるのですが、時間とお金の使い方が巧くいかない。
(時間があるときに限って、お金がなかったり)
映画鑑賞、読書(映画の原作を先に読むことも多い)
登山(ハードな山登りもこなすために日頃のトレーニングで汗をかく)
釣り(防波堤や浜での海釣り)
コンピュータのソフトを使い、書籍や雑誌、切り抜きの整理・・

 気軽に何でも書き込みして下さい(場所も気にしないでいいです)。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
ブロとも一覧
最新記事
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。